スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

父のこと

今年は年末・年始を九州の実家で過ごすことになった。何年ぶりのことだろうか。母が逝き、残こされた父のリハビリ病院での生活を元気づけるための見舞いの毎日である。

 今日、弟と2人で年末の大掃除をした。と同時に父の今後の方向性を検討するうえで必要な預貯金などの財産や、過去の必要経費・生活費等の実績情報の収集をした。預金通帳、保険証書、年金通知、固定資産税や市民税、等々の関係書類を調べ情報を整理し、今後必要となるであろう費用を推定し、施設入所をした場合、在宅で生活した場合、それぞれのケースを想定して今後2年間の収支予定を見積もってみた。成年後見人養成研修が役に立ったようである。

 もしも自分が父の成年後見人となったとしたら、どのような後見活動を行うであろうか。私は今、今後父に生きてほしい姿を思い描いているが、それはあくまでも自分のあってほしい父の姿であり、それが果たして父の希望や意思に沿っているかどうかはまだ明確ではない。第三者後見人であればもっと客観的に見ることができるところを、親子としての情念が働きすぎるて見えにくくしているのかも知れない。

 リハビリ入院も後1か月で終えなければならない。自宅に戻れない場合を想定して、介護老人保健施設や特別養護老人ホーム、介護付き有料老人ホームなどを調査したが、順番待ちで不可能であることが分かった。一時避難場所として住宅型有料老人ホームを検討している。経済的にはぎりぎりのところである。

 いずれにしても、父の人生の終焉が近づいていることは覚悟しなければならない。大正・昭和・平成と困難を克服して一世紀近くを生き抜いてきたその最終章を、穏やかにそして生きてきて良かったと思って貰えるように飾ってあげたいと思っている。
スポンサーサイト

テーマ : 社会福祉士
ジャンル : 福祉・ボランティア

父の回復

 母が逝き残された父は91歳、現在手術後のリハビリの為入院中であるが、気落ちしてリハビリを受ける気力が萎えている。食欲が全くなく、栄養補給のための点滴を余儀なくされれている。褥瘡も心配である。20日から九州の実家に戻り、毎日父を元気づけたく病院に通っている。
 
 栄養が取れないまま体力・気力が回復しなければ、ベッドからの脱出が困難となり、胃瘻措置もあり得る。そうなれば、もう二度と家には戻れないだろう。なんとかもう一度家に連れ戻したい。その為に、もう一度生きる目標を持ってほしいと思い、信州駒ケ根の景色や、家の建築工事の様子など、写真をたくさん撮り持ってきた。ここに一度遊びに来て、このアルプスを望む風景を絵に描いてほしいと頼んでいる。その絵を、新築の家の居間に飾りたい。父は定年後、絵に本格的に取り組み、上野の美術館の展示会に毎年出展していたこともある。絵にはかなりの思い入れがあるはずである。

 父は病床で駒ケ根の写真を見、その風景に感嘆の声をあげた。ああ~、きれいだなあ~・・・と。母さんを連れて行ってやりたいなあ~・・・と。

 そう、胃瘻につながれたままベッドに伏せて幾ばくかの延命を得るより、本人が望むなら長い距離だが、駒ケ根に連れていきたいと思っている。そこで短い余命であっても、生をいっぱい深呼吸して、少しでも微笑んで貰えればと思っている。

 今日も食事を少しでも多く食べるように食事の介助をし、ベッドサイドで手足の曲げ伸ばしをさせ、見よう見まねのリハビリを施している。少し食欲が出てきたようだ。

 

その時

 その到来を覚悟していたつもりでも、無意識の内にその予感を遠ざけていたのか、現実に母の死を目の前に突き付けられれば、それはあまりにも急なこととして狼狽えてしまう。去る11月30日深夜0時44分、母逝去、享年88歳。しかしその狼狽は、今に始まったのもではないことは自分では分かっている。

 母に認知症の症状が出始めた何年か前、私は社会福祉士を目指し通信教育を受け始めていた。認知症高齢者の為の成年後見人に見合うべく研鑽をも重ね始めていた。が、いざ目の前にそれも我が母に、それが現実となるであろうことが強く予感された時、その狼狽は始まっていた。今後母はどのようになるのか、それにどう対処すれば良いのか、遠く離れた物理的な距離をどう克服すれば良いのか、福祉の制度や地域でのサービス資源をいつどのように利用すればいいのか、そもそもその地域資源が地元ではどのようになっているのか、これまで実践経験の全く無い一般企業のサラリーマンの自分にとって、ただ頭が真白くなるばかりであった。

 幸いにも弟が父母と同居している。聞きかじりと読みかじりの知識を総動員し弟にアドバイスをするが、その先の実践は弟に委ねてしまった。社会福祉士の資格を取得した後でも、その状況は大して変わらない。資格を持っているだけの我が身の不甲斐なさに狼狽し、それを隠すように弟にアドバイスする、しかしそれは単に弟に負担の大半を押し付けていただけのことであったのであろう。

 昨年夏、その母が脳梗塞で倒れ左麻痺となり、少しは回復に向かうかに見えたが、特養併設のショートステイと週末の自宅生活を繰り返すうちに認知症は更に進み、ADLは低下していった。施設や病院のスタッフの方々の細やかな看護や介護、なによりも我が身を削るように続けられた弟の手厚い世話にも関わらず、容態が急変した母は、父と兄と弟に看取られながら静かに息を引き取ったという。その時、私は東京の自宅で、いざという時に駆けつける準備を済ませた後、翌日向かう駒ケ根での滞在の準備をしていた。連絡を受け、通夜と葬儀に駆けつけた私は、いったい何者なのであったのだろうか。
プロフィール

ちろりん村村長

Author:ちろりん村村長
衛藤史朗です。
九州で生まれ、東京でサラリーマンをやっていました。定年とともに信州駒ケ根の地に移り住み、ここを終の棲家として、成年後見活動を柱に地域福祉の増進に貢献する所存です。
趣味は剣道。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。